道徳の時間 ー放言仙人ー



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No.00077 語るに堕ちたな、検察!足利事件が示す小沢捜査の行方

 足利事件は、DNA鑑定によって、菅家利和さんは犯人でなかった、つまり冤罪であった。現在、それを法的に確定させるために、裁判が行われている。

 この事件について、今日(22.1.21)の裁判で、宇都宮地検の森川検事(当時)による菅家さん取り調べを録音したテープが公開された。

 その取り調べの正当性について、宇都宮地検の高崎秀雄次席検事は次のように言う。

宇都宮地検の高崎秀雄次席検事は「事実関係を何度も確認するなど、取り調べは慎重に行われた。菅家さんが誠実に話していることがうかがえ、自白に任意性はある」と主張。

読売新聞22.1.21夕刊およびYOMIURI ONLINE



 ほう、偉いじゃないか、高崎秀雄次席検事。この検察の主張を整理すると、「自白に任意性はあった(菅谷さんの自らの意思で行われた)が、菅谷さんは犯人ではなかった」となる。もっと分りやすく言うと「任意の自白であっても、自白には信用性は全くない。自白には一切証拠能力はない。」ということである。検察が自らの口でそう語ったのである

 この発言をみんなで心にとどめておこう。検察によるこの「任意の自白であっても、自白には信用性は全くない。自白には一切証拠能力はない。」は、当たり前ではあるが、きわめて重大な発言である。

 さて、現在の小沢問題について、小沢氏の公設第1秘書・大久保隆規被告や、陸山会の当時の事務担当者だった石川知裕衆院議員による、取り調べ中の供述を、検察がさかんに違法リークしている。

 多くの人が、その検察よって違法リークされた供述が「ウソ」であることを、証拠付きで指摘している。

 しかしながら、もし、万一それらの違法リークされた供述内容が「本当」であったとしても、その供述は、司法の判断を受ける上で、何の意味も持たない事になる。

 なぜなら、検察自身が「任意の自白であっても、自白には信用性は全くない。自白には一切証拠能力はない。」と公に認めたのだから。

 マスゴミよ。検察のリークをそのまま垂れ流しているが、そんなことをし続けて、ただで済むと思っているのか。

 それら供述のリークは、検察の違法行為でありウソであり、さらに、仮に正当な情報で供述内容が真実であったとしても、その供述内容には信用性は全くないし、証拠能力は一切ないのだよ。

 なんの信用性も証拠能力もないものを用いて、世論操作しようとしている、検察とマスゴミとを、絶対に許してはいけない。いつか必ず責任を取らせなければならない。

 いつまで国民を騙し続ける事ができると思っているのだろうか。ほんとに検察もマスゴミも、バカだねえ。(ついでに、バカ検察とバカマスゴミにだまされて続けている一部の国民は、もっとバカだねえ 笑)


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by hogensennin | 2010-01-21 16:30 | 政治

No.00060 根本は「道徳」である

 No.00057で、過去に汚染米を恐らく食わされていたであろう事を書いた。さらに最近、やはり汚染米を食わされていたに違いない事が発覚した。

 京都のある百貨店Aに入っているお店の一つに、汚染米が納品されていた事がわかったのだ。新聞記事などから、ちょうど汚染米が納品されていた時期に、該当する商品を私は何度か購入していたからだ。

 百貨店だからと信頼して、さらに美味しいので、気に入って良く利用していたのに、あ〜あ、ここもか、という残念な気持ちである。

 恐らく販売していた店にも過失はないし、出店させていた百貨店側にも問題はないだろう。責任は、三笠フーズと接着剤製造会社「浅井」と農林水産省にある。

 なぜ人は百貨店で買うのか。値段だけなら、近所のスーパーの方が安い。百貨店で買うのは、その値段に見合った品質を望んでいるからだ。高いばかりで品質が悪ければ、誰も買うまい。

 4年ほど前にも、京都の別の百貨店Bで、そこに出店している水産会社が、鮮魚の加工日を偽装(ラベルの貼り替え)して、その百貨店から排除されるという事件も起こった。

 この件については、確かに百貨店Bの管理者責任を問われても仕方あるまい。だが、ラベルの貼り替えなど、裏の倉庫でこそこそとされれば、どうしようもない。

 また汚染米の件については、販売店そのものが汚染米である事を知らなかったのだろうから、百貨店Aとしては、どうしようもない、というのが本音ではないか。

 百貨店は、店の雰囲気、接客、商品の品質など、「質」を売っている。「質」とは言い換えれば「信用・信頼」である。

 「信用・信頼」は目に見えない要素に大きく依存している。この要素は目に見えないだけに、検証するのがほぼ不可能である。ではどうやってこの「信用・信頼」を守るのか。

 それは「道徳」しかないだろう。個人個人の倫理観であり、会社としての倫理観であり、社会全体の倫理観である。この高い倫理観が、日本という国の「信用・信頼」を築いてきたのである。この日本の高い倫理観がなくなってしまえば、日本はどうなるのだろうか。「道徳」を失ってしまった社会では、百貨店など「信用・信頼」を売っている商売は、これから存続が危うくなる。

 アメリカ型「使い捨て」思想、大陸型「高流動性」社会の「とりあえず今自分さえ儲かればそれで良い」というイデオロギーに汚染された日本。かつて日本は「もったいない」思想、「低流動性」社会であった。そして「信用・信頼」こそが生きる第一の要素であるとわかって、何百年もの間、安定した経済活動を行ってきたのではないか。

 途中「黒船」や「コーンパイプ」に強姦されてしまって、本当は強姦されるという理不尽な屈辱に遭っているにもかかわらず、自己の精神を防衛する本能か、強姦男を好きになった気分になってしまっているのが、今の日本人であろう。何をや言わん。

 「創業158年の老舗リーマンブラザーズ云々」って、アホか! 高々158年で老舗というか。京都で「158年」って言えば、洟垂れ坊主ではないか。自己の利益だけを追求すると、たった「158年」で、やっぱり潰れてしまうのだ。

 権力者の作る「法」では、何も解決できない。皆がより良く生きるために必要なのは「道徳」という思想なのである。私たちはもう一度その事をよく考えなければならない。欧米中などの、大陸の文化に騙されてはいけないのだ。

【今日のバカ:騙され続けている日本人】


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by hogensennin | 2008-09-25 14:35 | 政治

No.00057 汚染米? 食った事あるさ、きっと。

 今でも、同い年の平均的なサラリーマンより所得は低いが、5年ほど前、会社の具合が良くなかった頃、現在のさらに6割程度の所得しかなかった。もちろんそれでは、生活そのものが厳しい。すり切れたスーツに、衿がよれよれのワイシャツ、穴を繕った靴下で毎日過ごしていた。

 毎日の飯を食うのさえも厳しい。そんなある日、近所のディスカウント酒屋の広告に、米の特売の案内が載っていた。たしか10kgで2千数百円であった。「これは安い!」

 ところがである。実際に炊いてみると、何だか異様な匂いがして来る。飯碗に盛って鼻を近づけると、やはり臭い。とても食べ物とは思えない薬品臭がしてくる。

 今なら、罰当たりな事だろうが、薬品臭のするような米は捨ててしまうだろう。しかしその当時、2千数百円と言えども、私にとっては大金だった。その米を捨ててしまえば、今日のご飯が食べられないのである。それから数十日の間、家内と一緒に、泣く泣く薬品臭のする飯を食う羽目になってしまったのだった。

 あれはきっと「汚染米」だったのだろう。後にも先にも、あんな薬品臭のする米は食った事もないし、見た事もない。幸いだったのは、特に目立った健康被害がなかった事である。あれから5年も経っているので、まあ大丈夫だろう。

 安物買いの銭失いと笑うなかれ。本当にお金がないということは、そういうことなのだ。経験のない人にはわからない。

【今日のバカ:(おそらく)汚染米を食わされた私】


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by hogensennin | 2008-09-17 15:34 | 政治

No.00056 何が「リーマンショック」だ

 私にはこの件について、言う言葉を持たない。私は経済については素人だからだ。ただ読書に関してはプロである。読書人である。評論家の宮崎某のように、ただ大量の本を読んでその内容をあたかも自分の言葉のようにテレビで垂れ流しているのとは違う。多くの真の読書人がそうであるように、私は良書と悪書を一目で見抜く力がある、そう自負している。

 経済に関して、真実を見抜き、冷静に(冷酷に)未来を予言できる者は、今のところ私は日本では一人しか知らない。

 「恐慌前夜」副島隆彦著 を読むべし。奥付では20.9.15第一刷発行(奇しくもリーマンショックの当日である)となっているが、実際に書店に並んだのは9月上旬である。c0166880_14273212.jpgだから書かれたのは8月中旬までであろう。その時期に書かれた本書の中に、はっきりと「リーマンブラザーズは潰れる」と書かれている。フレディマックとファニーメイの不良債権を、どの銀行がどれだけつかまされているかも、明記してある。

 「アメリカ経済はまだまだ底力を秘めている」などというバカげたことが書かれた本には、私は目もくれない。私は行間ににじみ出るウソとホントを感じ取る事ができるから、この副島氏の言っている事は正しいと、私にはわかるのだ。

 副島氏の一連の本は、確かに売れている。要するに氏の述べている事が正しいとわかっている人は、多くいるという事だ。私が特別なのではない。

 だからもう何年も前から、こういう事態に陥るだろう事は、知っている人は知っていたのである。何が「リーマンショック」だ。何が「流血の日曜日」だ。私も含め、知っていた人は「ああ、そうなのね。」ぐらいの反応しかないだろう。

 私は金持ちではない。小金持ですらない。毎日真面目に働いてはいるが、資産などないに等しい。職がなくなれば、明日の食べ物にも困る。仙人だって、霞ばかり食っては生きていけないのだ。でも、だから守るべき資産などないから、「自分の貯金をどう守ろうか」などと頭を悩ます必要がない。恐慌? なれば? どうせ私の生活が大きく変わる訳でもない。

 収入が減れば、飯の量を減らせば良い。ズボンの穴は繕えば良い。どうせ大きな流れは、誰にも変える事は出来ない。私はただ淡々と、庭の今日の枯れ葉を掻くだけの事である。

【今日のバカ:ウソの本を信じている者】


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by hogensennin | 2008-09-17 14:39 | 経済

No.00054 それでも第92代内閣総理大臣?

 自民党総裁選には、ともかく5人の出馬で落ち着いたようだ。この5人以外にも、あんなゴマメやあんなミソッカスまでが、総裁選に出馬したいと公にしていた。自民党の総裁選は現状では事実上の総理大臣選挙である。総裁選に出るという事は、総理大臣になる意思があるということである。日本国の総理大臣という地位を、一体なんだと思っているのかね、あのゴマメたちは。

 あの乱立騒ぎから、一つの事が見えて来る。彼らもまがりなりにも嗅覚鋭い政治家なのであるから、本能で悟っているのだろう、自民党からの総理大臣はこれで最後だということを。これを逃すと、当分は自民党から総理大臣は出ない。

 だから、今なら、とにかく、なんでも、万一にでも総裁選に勝利できれば、日本国の第92代内閣総理大臣として、歴史に名が刻まれる。その後、総選挙で民主党に政権を持っていかれるだろうが、国会冒頭の解散ならば、たとえ総選挙に惨敗しようと、総裁である自分の責任にはならない。

 総理大臣という後世にのこる名誉が手に入り、総選挙で惨敗しても汚名はきせられない。こりゃおいしい、と思ったんじゃないの、彼らは。

 残念ながら20人の推薦人を立てられずに、スタート地点にさえ立てなかったゴマメ諸君。「もしかしたら自分にも総理大臣の目があったのに」と、歯噛みして悔しがっているだろう。これを「ゴマメの歯ぎしり」という。


【今日のバカ:総裁選に立候補しようとしてダメだったゴマメたち】


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by hogensennin | 2008-09-11 13:45 | 政治

No.00053 答えは「政権交代」

 たとえ誰が自民党総裁になり、そして総理大臣になったところで、現状を変えられるわけがない。深手を負っているのに、効かない絆創膏を貼ってごまかすようなことの繰り返しである。どうにもならない。

 やはりここは政権交代しかない。一度指導者層の首を全部すげ替えて、そして膿を出し切らねばならない。

 膿を出し切るには、どうしても痛い手術が必要である。民主党政権になったところで、国民が痛みを感じるのは避ける事ができない。

 しかし、痛みを弱者にだけ押し付け、そして出口の見えない暗黒の社会を作った小泉改革に比べれば、遥かに素晴らしい事だ。

 さあ、政権交代して、現状の責任者である自民党政治家、官僚、公務員たちには、血反吐を吐くような痛みを味わってもらおう。そすれば国民も痛みに耐えて努力する事が出来る。責任ある者が相応の責任を取った上で、さらに明日の光が見えるのであれば、国民は少々の痛みには耐えられるものだ。

 誰が自民党総裁になったところで、この流れは変えられない。一番恐ろしいのは、「日本初の女性総理大臣を」などという訳の分からない風が吹いて、バカな一部の国民が騙されて、小泉の遺伝子を引く小池百合子(政治家としての能力は全然ないくせに、上昇志向だけ強い目立ちたがり女)が総理大臣になることである。そうすれば再び暗黒の10年がやって来る。

【今日のバカ:この期に及んで自民党を支持する者】


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by hogensennin | 2008-09-10 14:23 | 政治

No.00052 「セクハラ癖」こんな表現を許してよいのか


植草元教授が勝訴 「セクハラ癖」は認める

 週刊誌「サンデー毎日」に「セクハラ癖は業界で有名」などと書かれ、名誉を傷付けられたとして、植草一秀元大学教授(47)が発行元の毎日新聞社に1100万円の賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は8日、33万円の支払いを命じた。大段亨裁判長は「セクハラ癖があるというのは真実」と認定したが、「業界で有名という部分は立証されていない」と指摘した。

2008年9月8日 17時02分
共同通信


 植草氏の主張では、氏はセクハラなどしてはいない。> 大段亨裁判長は「セクハラ癖があるというのは真実」と認定したとあるが、これは裁判に於ける司法の判断であって、それが事実かどうかということとは無関係であるのは、少々法の仕組みに詳しい人なら知っている通りである。

 恐ろしいのはメディアの情報操作である。多くのメディアが「セクハラ癖を認める」という短文だけの見出しをネットのリンクに表示する。これだけを見ると多くの人は「ああ、やっぱり植草は変態男なんだな」と思うだろう。もう既に終わった話をまたぶり返して、植草氏のイメージをさらに悪くさせようということなのである。

 この報道で大切なのは植草氏が勝訴したことである。どうしてそちらを強く報道しないのか。やはりマスゴミは権力に阿ねるゴミである。

c0166880_150286.jpg まあいいさ、どんどんやればいい。まともな思考の持ち主なら、これほど酷いことを続けているマスメディアに対して、やればやるほど不信と反感を募らせていゆく。それは表に大きく出る事はない。深く静かに潜行してゆく。そしてそれは現にもうかなり広がっているであろう。

 メディアは裸の王様である。まだまだ自分たちの力が強いと勘違いしているのだろう。「我々は事実を述べている」とまだ嘯くか。たとえ事実であっても、どう表現するかによって受け取り方は変わる。それを知っていて植草氏を陥れるために、このような報道の仕方をするのだろう。「不作為の嘘」という言葉も、メディアの関係者なら知っているはずだ。

 人に対して酷い仕打ちをした者は、必ずそのしっぺ返しを受ける。因果応報、自業自得である。メディアの主たちが気づいた時には、もう遅い。マスメディアの崩壊はもう始まっているのだ。

【今日のバカ:マスメディア】


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by hogensennin | 2008-09-09 15:42 | 政治

No.00048 言論弾圧ではないのか


 まずは、次の記事を読んで頂こう。



失言:「9・11テロは米の自作自演」 藤沢中学教諭謝罪

 神奈川県藤沢市石川の市立善行(ぜんぎょう)中学校(塚原喜三校長、449人)の20代の男性教諭が5月下旬の授業中、米同時多発テロ(01年9月11日)について「9・11テロは米国の自作自演」と発言していたことが分かった。生徒から聞いた関係者が市教委などに抗議し、同中は今月1日、PTA役員らを集めて謝罪した。

 同中から報告を受けた市教委によると、教諭は社会科担当。5月26~29日に、2年生の4学級(145人)のそれぞれの授業でこの発言をした。授業を受けた生徒から「本当に自作自演なの」と尋ねられ、驚いた親族が「こんな授業をしていいのか」と同中や市教委に抗議し発覚した。

 市教委の桑山光生学校教育課長は「教諭本人は、物事の見方は一つじゃない、と説明する例として『自作自演との説もある』と言いたかったようだ。しかし、あまりにも例が悪すぎた。厳重注意する」と話している。【永尾洋史】




 911事件は、アメリカの主張によれば「テロ」であるし、あの事件を詳しく分析した(飛行機の状態、WTCやペンタゴンの破壊の状況、などなど)人たちによると、「アメリカの自作自演」となる。

 どちらの主張も、それぞれ一つの意見であるから、学校という公の場で、どちらか一つの主張は述べても良いが、もう一方の主張は述べてはいけない、というのは、偏向教育ではないか。

 さらにそれを藤沢市教委という公の機関がこの発言に対して、止めるよう、あるいは撤回するよう圧力をかけたとしたら、これは言論弾圧に当たるのではないだろうか。

 教師という立場上、どちらか一方に偏った意見は控えるべきであると私は考える。しかしそれを言い出すときりがないのも現実である。

 例えば「地球温暖化問題」。地球温暖化は二酸化炭素が原因とされているが、そうではないという意見もある。地球温暖化によって海水面が数mも上昇するという説もあるが、数cmしか上昇しないという説もある。森林が二酸化炭素を吸収するという説があるが、これは誤りである事はほぼ間違いなく、平衡状態の森林は二酸化炭素を吸収しない(吸収した量と同じ量の二酸化炭素を排出している)。地球の温暖化は、氷河期、温暖期という地球の大きな流れの一環であるから、正常であり人間の力ではどうすることもできない、という説もある。さらに地球は温暖化などしていないという説もある。

 多くの小学校で「地球温暖化を抑えるためにどうしましょうか、二酸化炭素排出を抑えるために、私たちで出来る事を考えましょう」などという授業を行っているが、これなど、恐ろしいほど偏向した意見である。それを授業にして子供たちに教えるなど言語道断であるということになる。

 上記の911発言問題について、これに抗議をした「関係者」「親族」といわれる人物は、同様に「地球温暖化問題」を授業で取り上げている事についても、抗議をしなければならない。他にも無数の抗議が必要になるだろう。そうしなければこの「関係者」「親族」自身の行為が、「偏向」していると糾弾されてもしかたあるまい。

【今日のバカ:「関係者」「親族」と言われる人物。藤沢市教委。善行中学PTA。】




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by hogensennin | 2008-06-05 15:42 | 政治

No.00044 どうせ公務員同士かばい合ったんだろう

 予想通り、飲酒運転ひき逃げの犯人、元福岡市職員今林大に対して、危険運転致死傷罪は適用されなかった。(参照:No.00040 酒を飲んだら危険運転だろ

 裁判長の川口宰護は「アルコールの影響により、正常な運転が困難な状態にあったと認めることはできない」と判断した。

 川口宰護のこの判断が正しいとすれば、酒を飲んでいても正常な運転ができていれば車の運転は問題ない、ということになる。つまり飲酒運転、酒気帯び運転という刑法罪が存在する意味がなくなる。

  科学的検証によって、アルコールは運動神経を低下させ判断力を鈍らせるということが明確になっているから、酒を飲んで車を運転してはいけないのだ。酒を飲んだら、本人がいくら「自分は正常に運転できる」と言っても、運転をさせてはいけない。それが日本国民の総意である。その総意を全く無視したのが、福岡地方裁判所の判事である川口宰護である。

 さらに問題なのは、この判決で「飲酒運転をしても『正常な運転が困難でない』のであれば、重罪にはならない」と、世のバカに誤ったメッセージを与えることである。

  川口宰護は、同じ公務員である今林大に温情の判決を与えたのではないか。公務員同士かばい合う体質があるのは、過去のさまざまな例を見ても明ら かである。もしこれがヤクザ者であったら、危険運転致死傷罪を適用していたことは間違いない。もし民間企業のサラリーマンであったとしても、危険運転致死傷罪を適用しただろう。

 いったいどんな運転をすれば危険運転致死傷罪が適用されるというのだ。高裁では正常な判決が下されることを切に望む。




>  2006年8月、幼児3人が犠牲になった福岡市の飲酒運転追突事故で、危険運転致死傷罪と道交法違反(ひき逃げ)に問われた元市職員今林大(ふとし)被告(23)の判決が8日、福岡地裁であった。

  川口宰護(しょうご)裁判長は「酒酔いの程度が相当大きかったと認定することはできない」と述べ、危険運転致死傷罪(最高刑懲役20年)の成立を認めず、予備的訴因として追加された業務上過失致死傷罪(同5年)を適用、道交法違反(酒気帯び運転、ひき逃げ)と合わせて法定刑上限の懲役7年6月(求刑・懲役 25年)を言い渡した。

 量刑理由について、川口裁判長は「結果の重大性、事件の悪質性にかんがみると、刑の上限をもって臨むのが相当」と述べた。

 今林被告は危険運転致死傷罪で起訴され、公判で、同罪の適用要件である「アルコールの影響により正常な運転が困難な状態」だったかどうかが争点となった。

  川口裁判長は、今林被告が運転を始めた時、「酒に酔った状態にあったことは明らか」としながらも、〈1〉スナックから事故現場まで蛇行運転や居眠り運転をせず、衝突事故も起こさなかった〈2〉事故直前、被害者の車を発見して急ブレーキをかけ、ハンドルを切った——ことなどを重視し、「アルコールの影響により、正常な運転が困難な状態にあったと認めることはできない」と判断した。

 その上で、「景色を眺める感じで脇見をしていた」とする今林被告の供述の信用性を認め、事故の原因については「漫然と進行方向の右側を脇見したことにあった」と結論づけた。



【今日のバカ:正しい判決を下せない裁判官】


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by hogensennin | 2008-01-08 12:17 | 政治

No.00042 これでも甘い、懲役23年判決

 「No.00040酒を飲んだら危険運転だろ」にも同様の事を書いた。それよりこちら尼崎の裁判官の方がまだましだったようだ。

 しかし遺族関係者の声は「判決は甘い」「飲酒運転を増加させる」と厳しい批判である。

 そりゃそうであろう。最高懲役30年を下す事ができるのに、23年の刑にしかしなかった。この7年は一体何なのか。では一体どの程度の危険運転なら、懲役30年の刑になるのか。三人ではダメで、十人ぐらい殺さないと、懲役30年にはならないのか。

 被告が反省しているとのことであるが、これだけ重大な事故を起こしておいて、反省しない者がどこにいるのか。反省していないとすると、それは過失ではなく故意、つまり交通事故ではなく殺人事件である。

 つまり国会の定めた法の最高刑が懲役30年でありながら、実際に懲役30年が下される事は事実上ないということである。これは、三権分立のルールを侵してはいまいか。

  殺人罪について、一時「一人を殺しても死刑にはならない」という不文律というか慣習というものがあったようだが、これも司法が立法権を侵していると言え る。なぜなら国民の代表である国会は殺人の最高刑を死刑と定めているのである。一人でも殺せば、死刑を適用する場合があって良いのである。それを立法が かってに「一人殺しただけでは死刑にしない」などと決めるのは、明らかに立法権の侵害である

 この尼崎の件についても、ではどういう場合に危険運転致死傷罪で懲役30年になるのか、司法は明確なラインを国民に示すべきではないか。もし懲役30年という裁きを下す事例が存在しないのなら、司法による立法権の侵害である

  再び言う。酒を飲んで凶器である自動車を運転すれば、もしかしたら人を殺すかも知れないと思うのが自然である。教習所でも免許書き替え時の講習でも、そ ういう事は教育されるから、運転免許を持っている者は全員知っている事である。運転免許を持っていなくても、子供でも、当たり前にわかる事である。

 つまり飲酒運転による事故は未必の故意といえる。飲酒運転で人を殺した者は、未必の故意の殺人罪で裁かれるべきである

【今日のバカ:やっぱりやっぱり裁判官】

◆     ◆     ◆

尼崎3人死亡事故、飲酒運転の被告に懲役23年判決  兵庫県尼崎市で6月、酒を飲んでワゴン車を運転し、歩行者をはねたうえ、タクシーに衝突して計3人を死亡させた事故で、危険運転致死罪に問われた大阪府豊中市の建設作業員宮田和弘被告(50)の判決公判が19日、神戸地裁尼崎支部であった。  渡辺壮裁判長は、有期刑上限の懲役30年の求刑に対し、「アルコールの影響で起こした極めて危険かつ悪質な犯行。反社会的で、身勝手極まりないが、反省の意思を示している」と述べ、同23年を言い渡した。   判決によると、宮田被告は6月23日午後9時半ごろ、尼崎市南塚口町の県道でワゴン車を飲酒運転して、歩行中の井上和俊さん(29)をはねて死亡させ た。さらに、約800メートル南で対向のタクシーと衝突し、運転手の岩田浩一さん(48)と乗客の松村美津子さん(68)を死亡させた。

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by hogensennin | 2007-12-20 12:11 | 政治


山に籠りて幾千年/霞を喰らひて瞑目すれど/下界の喧噪耳に障る/咄、刮目下山成敗ぢや
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