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道徳の時間 ー放言仙人ー



No.00066 小沢を守れ 3

 今は「クレーマー」と呼ばれる職業(?)があるらしいが、そういう専門職でなくとも、商品や店員の応対にクレームをつける人がいる。

 プロの苦情処理担当の方や、警察の事故処理の係の方に話を聞くと、クレームをつける人は2種類に分かれるという。

 1つは、穏やかに話をする人。もう1つは激高する人。

 ほとんどの場合、穏やかに話をする人は、自分に非がない人だ、ということである。絶対に自分が正しいから、激高する必要がないのである。いざとなれば「じゃあ、出る所へ出て話をしましょう」「それなら、裁判にしましょう」。いずれにしても、絶対に自分が正しいので、今、慌てて解決しなくても、結果必ず自分が正しい事が証明されると信じているからである。

 反対に激高する人は、自分の方に(も)非があることを自覚している人だ、ということである。もしこの問題を深く掘り下げたら、自分に非がある事がバレてしまうので、とにかく力(強い言葉、迫力、恫喝、怒り)で自分の有利なようにその場を抑えようとするからである。

 昨夜(4日夜)のテレビのある報道番組で、元検事(いわゆる「ヤメ検」)の河上和雄弁護士が、コメンテーターとして出演していた。詳しい発言については正確には書けないが、とにかく検察は正しい、小沢が悪い。もし小沢が悪くないのなら、自分でその証明をしなければならない、などと、顔を真っ赤にして強弁していた

 本来、挙証責任(立証責任 証明責任)は訴えた側にある。刑事訴訟の場合、挙証責任は検察の側にある。訴えられた方が自分の無実を証明するなど、現実問題として不可能だからである。無実を証明する為には、少なからぬお金と時間と労力を費やさなければならない。それらを費やしたとしても無実の証明をすることなど出来ないかもしれない。それに対して、検察(あるいは警察)側は、税金用いて、国家権力を利用して、仕事の一環として有罪の証拠を集めるのである。どうしたって、無罪の証明をする側の方が圧倒的に不利である。だから、あくまでも挙証責任は検察側にある。

 今回の場合、政治家が相手であるから、政治家側にも挙証責任があるという意見もないではない。しかしそれは、あくまでも一般国民に対しての挙証責任であって、検察の側に対してではない。

 だから、元検事の河上和雄弁護士のこの発言は、全く的外れであり、感情に任せたものだと言える。


 また、本日(5日)昼のテレビ番組で、同じくヤメ検の大澤孝征弁護士が、今回の小沢秘書逮捕について発言をしていた。

 いつもの冷静な大澤弁護士ではなく、何かイライラした様子がありありと見えた。コメントの内容も、「…だと思います」「…だといいのですが」と、強気の割には、語尾は断定口調ではなく、さすが弁護士、あとで非難されないようにか、非常に曖昧な様子であった。



 これらヤメ検二人の、感情的なイライラとした様子は何を意味しているのであろうか。

 もし検察側に瑕疵なく、正当な捜査が行われているのであれば、たとえどんな非難が検察に浴びせられようと、ヤメ検二人は落ち着いて冷静に話をすればいいのではないか。「まあ、どうせ後から検察の正しさは、明らかになるさ」とどっしりと構えていればいいではないか。

 こんなにも感情的にイライラと話をするということは、やっぱりこの捜査はどこかおかしいと、二人とも感じているのではないだろうか。

 人というものは顔を見ればわかる。それだけに、国会の証人喚問に於いても、国家権力側が守らなければならない人物が喚問される時は、映像の撮影が禁止される。反対に国家権力側が悪人に仕立て上げたい人物の喚問時は、生中継で全国に映像が報道される。

 過去にも検察は、幾度もの「国策捜査」を行って来ている。実際に検事をしていた河上、大澤両弁護士は、当然その事実を見て聞いて知っているはずである。だからこそ、こんなにも感情をあらわにしたコメントになったのではないか。

 さあ、これから検察とマスゴミ(および当然その裏で糸を引いている、本当の悪人たち)は、どのような手段を使って来るのか。私たちは、決して騙されないように、その奥にある真実を見抜くようにしなければならない。


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by hogensennin | 2009-03-05 14:28 | 政治
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山に籠りて幾千年/霞を喰らひて瞑目すれど/下界の喧噪耳に障る/咄、刮目下山成敗ぢや

by hogensennin