道徳の時間 ー放言仙人ー



No.00060 根本は「道徳」である

 No.00057で、過去に汚染米を恐らく食わされていたであろう事を書いた。さらに最近、やはり汚染米を食わされていたに違いない事が発覚した。

 京都のある百貨店Aに入っているお店の一つに、汚染米が納品されていた事がわかったのだ。新聞記事などから、ちょうど汚染米が納品されていた時期に、該当する商品を私は何度か購入していたからだ。

 百貨店だからと信頼して、さらに美味しいので、気に入って良く利用していたのに、あ〜あ、ここもか、という残念な気持ちである。

 恐らく販売していた店にも過失はないし、出店させていた百貨店側にも問題はないだろう。責任は、三笠フーズと接着剤製造会社「浅井」と農林水産省にある。

 なぜ人は百貨店で買うのか。値段だけなら、近所のスーパーの方が安い。百貨店で買うのは、その値段に見合った品質を望んでいるからだ。高いばかりで品質が悪ければ、誰も買うまい。

 4年ほど前にも、京都の別の百貨店Bで、そこに出店している水産会社が、鮮魚の加工日を偽装(ラベルの貼り替え)して、その百貨店から排除されるという事件も起こった。

 この件については、確かに百貨店Bの管理者責任を問われても仕方あるまい。だが、ラベルの貼り替えなど、裏の倉庫でこそこそとされれば、どうしようもない。

 また汚染米の件については、販売店そのものが汚染米である事を知らなかったのだろうから、百貨店Aとしては、どうしようもない、というのが本音ではないか。

 百貨店は、店の雰囲気、接客、商品の品質など、「質」を売っている。「質」とは言い換えれば「信用・信頼」である。

 「信用・信頼」は目に見えない要素に大きく依存している。この要素は目に見えないだけに、検証するのがほぼ不可能である。ではどうやってこの「信用・信頼」を守るのか。

 それは「道徳」しかないだろう。個人個人の倫理観であり、会社としての倫理観であり、社会全体の倫理観である。この高い倫理観が、日本という国の「信用・信頼」を築いてきたのである。この日本の高い倫理観がなくなってしまえば、日本はどうなるのだろうか。「道徳」を失ってしまった社会では、百貨店など「信用・信頼」を売っている商売は、これから存続が危うくなる。

 アメリカ型「使い捨て」思想、大陸型「高流動性」社会の「とりあえず今自分さえ儲かればそれで良い」というイデオロギーに汚染された日本。かつて日本は「もったいない」思想、「低流動性」社会であった。そして「信用・信頼」こそが生きる第一の要素であるとわかって、何百年もの間、安定した経済活動を行ってきたのではないか。

 途中「黒船」や「コーンパイプ」に強姦されてしまって、本当は強姦されるという理不尽な屈辱に遭っているにもかかわらず、自己の精神を防衛する本能か、強姦男を好きになった気分になってしまっているのが、今の日本人であろう。何をや言わん。

 「創業158年の老舗リーマンブラザーズ云々」って、アホか! 高々158年で老舗というか。京都で「158年」って言えば、洟垂れ坊主ではないか。自己の利益だけを追求すると、たった「158年」で、やっぱり潰れてしまうのだ。

 権力者の作る「法」では、何も解決できない。皆がより良く生きるために必要なのは「道徳」という思想なのである。私たちはもう一度その事をよく考えなければならない。欧米中などの、大陸の文化に騙されてはいけないのだ。

【今日のバカ:騙され続けている日本人】


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by hogensennin | 2008-09-25 14:35 | 政治
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山に籠りて幾千年/霞を喰らひて瞑目すれど/下界の喧噪耳に障る/咄、刮目下山成敗ぢや
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